市原佳代さん
NPO法人チェルノブイリ救援・中部 理事
参加ツアー:チェルノブイリ救援・中部 スタディツアー
スタディツアーで原発事故の被害を目の当たりに
放置された車両とヘリコプター
1999年に新聞記事で「ウクライナ料理講座」案内を見つけました。「1,000円でウクライナの料理が食べられる!」というお得さにつられて参加、そこでスタディツアーが行われることを知りました。ちょうど仕事も10日間の休みがとれたため、遊びに行く感覚で、ウクライナツアーに参加しました。
現地では、それまでにぎわっていた町が、原発30km圏内のため人の立ち入りが出来なくなり、閉鎖されているという現実。また、事故処理のため放射能汚染された車両やヘリコプターが、何千台と放置されている場所にも行き、呆然としました。また、遊覧船に乗って観光をしている時、「私の家族が難病にかかっている、支援してほしい」と突然話しかけられました。
それまで、チェルノブイリ原発事故は「遠い国のできごと」として、興味もありませんでした。しかし、現実を目の当たりにし、住民への影響がこれほど大きいものとなっていることに衝撃を受けました。
NGOの役割や市民の力の大きさを実感
サナトリウム(放射能の影響を逃れ保養するための施設)の子どもたちに話を聞く市原さん(写真右手前)
ツアー中、訪れる先で、大変なおもてなしを受けました。それは、これまで団体が現地に医薬品の提供や病院の修繕、日本から手紙を送るといったサポートを行い、実際に現地の方の大きな力、支えとなっているためでした。また、びっくりしたのは、引率してくれた団体の方が、現地パートナーNGOの方と本気でケンカをしていたこと。活動方針について真剣に語り合っている。お互い信頼をしてるからこその関係性ができていると思いました。
それまで、ボランティアは「焼け石に水」、市民に世の中を動かせる力はないと斜めに見ていました。しかし、自分にできる些細なことでも、現地の大きな力となることができる。ボランティアは無駄ではない、市民に力があるんだということを学びました。
訪問した人々との縁を続けたい
福島原発事故後に開催した報告会で司会をする市原さん(写真右)
帰国後、すぐに機関誌作成のボランティアに誘われました。会社で働きながら、隔月土日の作業日に原稿の校正作業などをしました。その後、運営委員となり、2005年には代表という役割も廻ってきたため、2年間の任期で務めました。
現場を見ることによって、一度出会った人たちをほおっておけない、これからも関わっていきたい、縁を続けたいという気持ちになり、15年以上ボランティアを継続しています。