Nたまを経て自分の生き方を探し当てる
Nたま1期生 石川博仁さん
Nたまに参加したきっかけは。
瀬戸で1993年に開催された「アジア市民フォーラム」で名古屋NGOセンターの前身である第三世界交流センターのメンバーの方々にボランティアで関わらないかと誘われたのがきっかけだったと思います。そこでいきなり、ネパールの女性の自立を考える分科会の担当を任されました。自分の人生で初めて、女性の自立という問題に目を向けたきっかけでもありました。
しばらく年月を経て、名古屋NGOセンター主催で「NGOスタッフを育てる研修」がはじめて開催されるということで参加してみようと思いました。それまでなかった、「(NGOの)スタッフを養成する」試みに心惹かれたことを覚えています。
Nたまで印象に残っていることを教えてください。
インドでの海外研修が一番印象に残っています。その当時の日本では、今ほど気候変動について騒がれている時ではありませんでしたが、インドの現地NGOスタッフにはその問題にすでに大きな危機感がありました。また、海外研修に行ってみてソムニード(現:ムラのミライ)をはじめとする現地スタッフの方と会話する中で、その当時の活動は日本から途上国へ支援しているという感じが強く、被支援者主体の活動ではないと感じました。
全体を通じては、お金よりも、生きていくために必要なことは何なのかを考える最初のきっかけになり、自分の生き方や考え方が持てると同時に視野が広がりました。
Nたまを終えた後はNGO/NPOで活動されたのでしょうか。
スタッフを養成するということに惹かれ研修に参加しましたが、いきなり海外の現地スタッフになるということやNGOに飛び込んでということはできず、勇気が足りなかったと思っています。その当時、NGO/NPOを仕事として生活していけるのか?就職できるのか?という迷いがありました。すぐにはNGO/NPOに就職しませんでしたが、数年後にチェルノブイリ救援・中部の会計スタッフとして活動に関わった時期がありますね。
一方で、Nたまが人生の方向性を変えるきっかけになったことは事実です。受講当時は、「自分の生き方」が定まっていない時期でした。今思うと、自分の生き方や軸を決める、考えるというプロセスにNたまは必要だったのだと思います。
現在の活動や思いを教えてください。
愛知県内で、介護・福祉の仕事をするとともに、田んぼでの米作りに取り組んでいます。若い世代が農業に魅力を感じなくなり、輸入農産物があふれ国内の農業を含めた第一次産業はどんどん衰退してきています。しかし、海外に目を向けてみると食料生産を含む第一次産業は最重要であることがわかります。そこに目を向け、携わっていくことに強い関心を抱くと同時に、この国ではそれを大事にできなくなっている世の中であることに気づかされました。